ドラ校長の広場

ドラえもんが大好きな校長のブログです。

ありがとうm(_ _)m 南横山

 平成29年3月31日付をもって、南横山小学校の校長を定年により退任いたしました。3年間という短い期間でしたが、子どもたち、保護者、地域、教職員のみなさん方に助けていただきながら勤めることができました。ありがとうございました。教師生活の最後をこの南横山小学校で迎えることができて、本当に幸せでした。多くのみなさんと出会い、お話をさせていただき、子どもたちのために協働し、笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜んだりと様々な思い出ができました。教師生活を終える日が来るなんて、全く思ってもいませんでした。今日突然来たような気がしています。子どもたちの顔や声を毎日見て、聞いて暮らしていましたが、これからは聞こうと思っても簡単には聞けなくなるのではないかと不安です。関わった子どもたちのことは忘れることはありません。子どもたちみんなが健やかに育ってくれるようお祈りしています。

 平成29年3月30日午前7時半頃の校区の様子をカメラに収めると共に、記憶にとどめておきたいと思います。

 お世話になった「葉菜の森」さんです。苗を買ったり、炭を販売させていただいたり、芋掘りを体験させていただいたり、小川のいちご園でイチゴ狩りもさせていただきました。

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 子どもたちみんなを見守っていただいた 「阿弥陀寺」さんです。4月2日に大般若法要があり、今年は新たに子どもたちが山車を曳くそうです。

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 父鬼から和歌山県に抜ける新しいトンネルが4月1日午後4時過ぎに開通します。自動車専用道路なのでこんな標識ができていました。

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 一部分、旧の480号線と交わっています。白川へ行く手前になります。ノーカバンデーの安全対策が必要です。

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 父鬼町の子どもさんで、一番遠い所になります。集団登校でこれからも安全に学校に来て欲しいものです。

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 父鬼名物、鯖の棒寿司やいも餅がおいしい魚庄さんです。父鬼に来た時にはぜひ立ち寄って、ぜひ食べてみてください。

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 いつもこの場所で子どもたちが出てくるのを見ていました。

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 神社前で奉納した「笹踊り」はいつもでも続いて欲しい伝統芸能です。

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 観音寺さんは、父鬼の心のよりどころだったような気がします。

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 バス停の前で小学生や中学生とあいさつするのが日課でした。卒業生も元気よくあいさつするのがこの校区のいいところです。

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 この南横で多くの人と出会い、つながりました。そのつながりで子どもたちを支えてきたと思っていました。でも、支えてもらってもいたのです。感謝の気持ちをこれからも忘れずに生きていきたいと思います。

 

 ありがとう、南横! 

  ありがとう、みんな!

校長として赴任した時に3人の女の子が作ってくれた校長室の看板をはずしました。この日その3人が学校に会いに来てくれました。

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また、今日卒業生3人が会いに来てくれたんですが、残念なことに私が府庁や市教委に辞令をもらいに行って留守の時でした。思いを持って来てくれる子どもたちや保護者がいてくださって、本当にこの仕事をしてきて良かった、幸せだったと心から思います。

 皆さんもこれから新しい出会いがあります。私も新しい出会いがあります。これからも出会いを大切にしていきましょうね(^_^)ノ

給食に感謝 「心の栄養」

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 皆さんは給食は好きでしたか?

 私は給食が大好きでした。私は岸和田市で生まれ育ったのですが、給食は小学校に入学した時点では、まだありませんでした。確か2年生ぐらいから始まったと記憶しています。それまではお弁当を持って行き、冬は石炭ストーブの周りに置いて温めていました。当時は牛乳は「脱脂粉乳」で、大きなポットのような入れ物に入れられていました。お世辞にもおいしいという物ではなく、飲まなければいけないから飲んでいたと思います。友だちは残す子が多くて、私はその分を飲んであげていたようです。

 当時は、ご飯はなくてパンばかりでした。でも、おかずがいろいろと代わるので楽しみにしていました。よく覚えているのは、鯨と水菜の炊いた物や鯨の竜田揚げ、鯨に関する物が多かったですね。また、バナナ(一本の三分の一程度)が出た時は学校中が大騒ぎになりました。だって、病気の時しか食べられないものでしたから。

 

 今日は午前中に、調理員さんや栄養士さんなどの調理研究会にお話をさせてもらうために行きました。というのも、私がこの仕事をして「給食」に力をいただけたから、37年間の教師生活ができたと思っているからです。今日は「ありがとう」と感謝を述べに行ったのです。

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 私の教員としての当時の指導力は、どう見ても立派だったとは言えませんでした。というのも、小学校で教える教科に専門的に研究した物はなかったからです。初めての担任は3年生でした。始業式では45人の子どもたちを担任したのですが、4月中に転入生があって、急遽クラス替えを実施し、5月からまた新しい子どもたちとなってしましました。そのクラスに重度の自閉症の男子児童Sくんがいました。自閉症についても全く勉強したことがなく、言葉がないため、理解に苦しむことがとても多かったのです。でも、同じクラスの子どもたちが、「先生、Sちゃんがこんな時は、こうして欲しいからやねんで。」と逆に教えてくれたのです。そのときに給食にまつわる話があります。いつも3時間目の終わりぐらいになるとSくんが教室に帰ってきません。その時に「sちゃんは、給食室の前にいるよ。」と子どもたちが言うのです。行ってみるとガラス越しに顔をつけて調理場を覗いています。動こうとしないsちゃんに手こずっていると「今日の献立を言ったらいいねん。」とまた教えてくれるのです。全く子どもたちの言うとおりで、感心することばかりでした。

 このように、教師の私は担任した子どもたちに教えられるようにして、教師生活をスタートしたのです。なわとびの二重跳びも教えてもらいました。そのおかげでこれだけ続けられたのだと心から思っています。また、保護者の方からも教えていただきました。

 そして、私が会得した最大の教師生活の武器は、給食と掃除指導でした。給食を残さず楽しく食べること、掃除をきれいに早く終わらせることに関しては、その他の教師の追随を許すことはなかったと自負しています。教科指導を除いて。子どもたちはよく食べ、よく遊びました。給食を残さず食べ、掃除を一生懸命することができる学級は、何でも頑張る良い学級だったと思います。 もちろん苦手なものを無理矢理食べさせることはしませんでしたよ。でも、いつの間にか子どもたちは食べられるようになっていきました。

 教師として2校目の学校で、当時学校に来ることができないで長い日々を過ごしている子どもたち(3人)を、専門的に担当することになりました。毎朝家庭訪問をして、「おはよう」と声かけをすることにしました。一人のNくんという6年生男子は、学校、先生と聞いただけで悲しい顔をする子でした。でも、毎日声かけをするうちに、話ができるようになってきました。部屋で1時間ぐらいは話せるようになった5月下旬に「学校に戻るわ、給食やから。」と何気なく言った時、「今日の献立は何?」と聞くので、「・・・と唐揚げ。」と答えた時、「僕、唐揚げ大好きやったんや」と言うので、何気なくお母さんに「給食費ってどうしてるんですか?」とたずねると、「いつこの子が学校に行っても大丈夫なように給食費は払っています」ということでした。なんとⅠ年以上学校に行けていないのですが、その間払い続けていたというのです。

 学校に戻った私は、校長にそのことを話すと共に、唐揚げを持って行きたいと申し出ました。現在では許されないことですが、当時の校長先生と、栄養士さん、調理員さんがすべて準備してくださって、わら半紙に包んだできたての大きな唐揚げを届けに行きました。玄関の戸を開けるやいなや、私が持ってきた包みを奪うようにして取り、破るように開けると次々に口に放り込み、「俺はこの唐揚げが好きやったんや!」と泣きながら食べたのです。それを見ていた私とお母さんも涙が止まりませんでした。

 少し落ち着いた時に私から、「給食だけでも食べに来るか?」と切り出しました。そして、彼はこのことがきっかけで、給食だけを食べに来るようになりました。それも校長室で。あとの二人もこれをきっかけに給食だけ食べに登校してきました。でも食べながらほかの子どもたちの声が聞こえてくるのです。とても繊細な感覚の子たちでしたが、給食時はいろいろと話すんです。その話から友だちのことが聞けるようになり、会いたいということになり、給食時間だけでなく少し前の時間から登校するようになりました。学校復帰に向けて動き出すきっかけは、給食が作ってくれました。

 まだまだ話はあるのですが、このようにして、学校給食に助けていただいた話を参加者皆さんに聞いていただくと共に、感謝の気持ちを伝えさせていただきました。学校給食法に定められた目標は、下記の7つですが、

適切な栄養の摂取による健康の保持増進を図ること。
日常生活における食事について正しい理解を深め、健全な食生活を営むことができる判断力を培い、及び望ましい食習慣を養うこと。
学校生活を豊かにし、明るい社交性及び協同の精神を養うこと。
食生活が自然の恩恵の上に成り立つものであるということについての理解を深め、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
食生活が食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについての理解を深め、勤労を重んずる態度を養うこと。
我が国や各地域の優れた伝統的な食生活についての理解を深めること。
食料の生産、流通及び消費について、正しい理解に導くこと。
それ以上に、子どもたちの心の栄養になっていることを忘れてはいけないと思います。
 みなさん、本当にありがとうございました。これからも子どもたちのために、すばらしい給食をお願いいたします。

祝! 父鬼バイパス、鍋谷峠トンネル開通プレイベント

 これほどの人たちが南横山校区に集まるなんて、初めて見ました!

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 午前7時に学校の運動場の門を開けようと学校に行ったのですが、側川の道路付近は係やガードマンの方々が、道路案内の準備で忙しそうに動いていました。学校の運動場は昨晩のうちに区画の白線を引いて、駐車場所を明確にしてありました。本来は、臨時駐車場の予備として、何台かくらいがここに止まるだろうという予想でしたが、4大新聞で報道されたこともあって、アピール課に問い合わせ等が殺到したそうです。そのため、本校の駐車場もメインの一つとして開放することになったそうです。予想通り、8時半には満車になってしまいました。誘導をお願いして、イベント会場に向かうと、驚きの人の集まりがあったのです。

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かつらぎ町ゆるキャラも集合し、記念撮影で引っ張りだこでした。コダイ君、ロマンちゃんも頑張っていましたよ。

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 このトンネルは自動車専用道路ですので、歩いたり自転車に乗ったりできるのは今回だけだということで、多くの方々が集まったようですね。和泉中央駅からは臨時バスも出ていたので満員で何回も往復していたようです。

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 オープニングイベントでは鼓聖泉の太鼓や千両太鼓が披露されました。

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父鬼バイパスのトンネルを入ると最初はとても明るい照明があって、こんな様子でした。

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 父鬼バイパストンネルの出口付近が上の写真です。緑の多いさわやかな風景に出ます。

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斜面を削って道路が延びているのがよく分かりますね。

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先頭の人たちは、折り返して帰ってきました。私は途中で本校在籍の地元2年生と出会い、大きな声で名前を呼んでくれて駆け寄ってきてくれました。父鬼老人会の人と一緒に歩いて行きましたが、鍋谷峠トンネルまでは、ずっと登りでした。86歳の清次さんと折り返しまで一緒でしたが、途中で折り返してきた笹踊り保存会の会長と出会い、「また行こうか」と言ってくださって私に付き合ってくださいました。

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 いろいろな人とすれ違ったのですが、南横山校区、横山校区の方だけでなく、以前市役所で知り合ったいろいろな人たちにも再会でき、驚きやうれしさで感動感動の一日になりました。

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上の写真は、以前紹介した、旧の480号線と合流する地点です。驚きは保存会会長の歩く速さでした。追いかけるようにしてついて行くのが精一杯でした。

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イベント会場まで戻ってくるとおもてなしの飲み物やパンフレットが配られていました。その行列の長さは写真ではわかりにくいでしょうが、約300mでトンネルの入り口まで伸びていました。係の方に訪ねると「はっきりとは分からないですが、用意した1000個の記念バッチはすぐになくなってしまったので、2000人以上は参加しているんじゃないかな。」とおっしゃっていました。バスの乗り場にも長い行列ができていて、駐車場以外の道路上にもあちらこちらに車が置かれていました。

平成28年度 修了式 & 入学式に向けて1,2年生のがんばり

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 平成28年度の修了式を行いました。1年生は身体も小さくて、学校にも慣れていない不安がいっぱいの表情が、今朝は胸を張り、自信にあふれた表情に変わっていました。パキスタンの子どもたちも周りの友だちと会話をしながら、楽しそうに並んでいました。できることが増えてきて、その自信が表情に表れてくるのですね。この1年生同様、他の学年もこの一年間で大きく成長しています。その成長を周りの大人が認めなければなりません。認めてもらったうれしさ、喜びが次のステップへと導いてくれるのではないでしょうか。 

 私が、3学期の始業式にこの一年の目標を決めてがんばることをすすめたところ、1年生ではなわとびに挑戦する子が多く、毎朝「校長先生!見て見て!こんなに跳べるようになったよ。」と呼び止められていました。毎日練習して毎日見ていたのですが、子どもたちは驚くほど上達しています。「すごいなあ!」その一言ぐらいでも子どもたちはキラキラ目を輝かしているのです。ぜひ、子どもたちががんばっている時・所を見つけて声かけをしてください。そして、根気よく声かけを続けてください。

 今日の修了式では、「一生懸命」をみんなに見てもらいました。初めは、1年生のパキスタン児童の一生懸命でした。彼女は、入学当初は日本語も全くできなかったのですが、今ではしっかりと友だちや先生に日本語で呼びかけているのです。また、最近はなわとびもがんばっていました。その様子を写真で見てください。

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 次は5年生のバスケットボールの「一生懸命」です。休憩時間や放課後に少しずつ練習をしていたのですが、彼は冬の寒い時には何度も練習したのでシャツ1枚になってまでがんばっていました。やる気と根気と元気「三つの気」でシュートがとてもうまくなりました。

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 新しい学年に向かって「一生懸命」を忘れないでくださいね。

 

 修了式が終わった後に、1,2年生が入学式のアトラクションの練習をしました。初めて見せてもらったのですが、ここでも「一生懸命」を見ることができました。

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 これまでも、これからも「一生懸命」の姿が南横山小学校のあちらこちらで見られますように、祈っています。

「卒園おめでとう!」 横山きのみ保育園の卒園式

 今日は、横山きのみ保育園の卒園式におじゃましました。生活発表会では、5歳児のおよそ半分がインフルエンザで顔を見ることができませんでしたが、今日はみんなの元気な顔、ちょっと緊張した顔を見ることができました。「卒園おめでとう!」

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 南横山小学校では、いろいろな活動できのみさんと連携・交流を行ってきました。米作りでは一緒に田植え,稲刈りをし、できたお米をそれぞれの学校、園で活用しました。また、春の七草を利用して、3学期の始業式には本校で七草がゆを一緒に食べました。夏休みの小学校のプールを使ってもらって、いっぱい遊んでもらいました。学校林の探検もしてもらったりもしています。いつもにこやかな顔を見せてくれました。

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  たくましく成長した顔を見せてもらうとともに、入学して頑張ることも聞かせてもらいました。子どもたちの成長に切れ目はありません。ずっと継続しつながっているものです。私たち大人も繫がりあって、この子どもたちの健やかな成長を守っていかなければならないと考えます。

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「三人のいとこ」

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  1年生から4年生まで「三人のいとこ」という教材を使って、先週から授業をさせていただいていました。

三人のいとこ

 ぼくには、おなじとしにうまれたいとこが二人いました。おとうさんのほうのいとこが女の子で、「あつ子」というなまえでした。おかあさんのほうのいとこは、男の子で、「ひろし」というなまえでした。小学生のころには、なつやすみになるとひろしとそのおとうとが、おばあちゃんのいえにやってきます。ぼくもおなじ日におかあさんといもうとといっしょにおばあちゃんのいえにいきます。おばあちゃんのいえは、いとこがあつまってきて、とてもにぎやかになります。

 

 なつやすみのしゅくだいは、いつもおばあちゃんのいえでやっていました。ひろしはべんきょうがきらいなので、ぼくがおしえてあげます。おしえてあげるとかならず

「みっちゃん、ありがとう。」

っていってくれるので、ぼくはひろしが大すきです。一年生のころからずっとなつやすみはひろしとしゅくだいをしていました。とおいところにすんでいるので、なつやすみやお正月しかいっしょにあそべません。でもいっしょにあそんでいて、いつもたのしいきもちになります。

 

 六年生のなつやすみのある日、ぼくがひろしのいえにあそびにいったときのことでした。ひろしのいえはがっこうのすぐまえだったので、よくうんどうじょうにあそびにいきます。てつぼうのところであそんでいたとき、ひろしとおなじクラスの六年生が三人でやってきました。そしてぼくたちをみつけるとすぐに

「あっ、アホのひろしや!」とわらいながらいってきました。 そして、石までなげてきたので、ぼくはおもわず、

「なにいうてんねん!」

その子たちにいしをなげようとはしっていこうとしました。

 ぼくがその子たちにむかってはしろうとしたとき、ぼくのふくをひろしがうしろからにぎってはなしませんでした。

「みっちゃん、やめて!あいつら、いうてもわからんから。」

 

 ひろしは、おかあさんのおなかからうまれてくるときに、とてもたいへんだったようで、しぬかもしれないとおいしゃさんにいわれていたそうです。そのときのびょうきがげんいんで、のうやしんぞうにびょうきがのこってしまったそうです。生まれてきたときには大きくならないかもしれないといわれていたそうです。でも、ひろしはぼくたちといっしょに小学生になることができました。いっしょにあそんでいて、とてもたのしいです。そして、やさしいです。ぼくはひろしが大すきでした。

 

 こうこうせいになり、なつやすみにあうこともすくなくなってしまいました。でも、おぼんやお正月にはあうことができました。あえば、いつもえがおではなせるのがひろしでした。こうこう三年生のとき、ひろしのいえにようじがあっていきました。ひろしが、ぼくにカブトムシやクワガタのずかんをかってきてほしいとたのむので、こんどくるときにかってくるやくそくをしました。小学生ようのずかんでした。

 つぎのあさ五時くらいにいえのでんわがなりました。お父さんが大きなこえで

「えっ!なんでや!」とさけんだので、ぼくもとびおきてしまいました。

「ひろしがしんだ。」

ぼくはそのことばがしんじられませんでした。

 ひろしは生まれつきしんぞうがよわかったため、そのあさにしんぞうほっさをおこしてしんでしまったのです。おそうしきにはひろしからたのまれていたずかんをそっといれました。あつ子もめになみだをいっぱいためていました。ひろしが十八さいのあきのことでした。

 

 あつ子はべんきょうがすきでこうこう一年生から三年生のとちゅうまでべんきょうはいつも一ばんだったそうです。

 そのあつ子が十八さいのふゆに、とつぜんしんでしまいました。しんぞうほっさだったそうです。おじさんやおばさんは、しんじられなかったそうです。おそうしきの日におじさんが

「いくらべんきょうができたって、しんでしまったら・・・・。」

とぼくにはなしてきました。

 

 三かげつほどのあいだに、ぼくといっしょの年にうまれたいとこが、二人もしんでしまうなんて、ほんとうにおどろきました。二人はとしがいっしょですが、ものすごくちがいがありました。でもしんでしまって二人にはあうことができません。

 

 ぼくはこうこうをそつぎょうし、四月からいくだいがくもきまっていました。

でも、ぼくはこうつうじこにあい、いしきふめいのままきゅうきゅうしゃでびょういんにはこばれました。ぼくのおとうさんやおかあさんは、「どうか、いのちだけは・・・・。」というおもいでびょういんにかけつけたそうです。そのとき、ひろしとあつ子のかおがうかんだそうです。いしきふめいではこばれたびょういんで三じかんごに、ぼくはいしきをとりもどしました。

 

 三人のいとこは、二人が十八さいのときにしんでしまい、のこった一人はいまもげんきにいきています。ぼくは、二人のいとこから、みんなにつたえなければならないことをあずかっています。

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 このお話は実話です。みっちゃんは私です。自分が担任を持った時は必ずこのお話をしてきました。障がいをもって生まれた「ひろし」は兄弟同然のように育ちました。障がいって大人になってから勉強しましたが、いっしょにいた時は何も変わらない、ぼくと同じ男の子でした。子どもたちにこのお話をして、みんなに伝えなければならないことが何かを考えてもらいました。それぞれの子どもたちの発達段階で、感じることはちがいます。でも、同じ命を持つ一人の人間だということに、将来でもいいので気づいてくれることを願っています。

ジャム & パン作り 《3,4年生》

 午後から3,4年生が、みかんジャムともちっとパンづくりをお家の方にも手伝ってもらって作りました。

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 はじめにみかんの皮をむいて、お鍋に入れていきます。たくさんのみかんの皮をむいていると家庭科室はみかんのにおいでいっぱいになりました。一方では、もちっとパンの準備です。材料はおからを使うところがミソのようですね。一生懸命こねて、形を作っていきました。一口サイズのパンです。

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 みかんをむいた後は、みかんをつぶして砂糖を30パーセント混ぜて、火にかけながらゆっくりと煮ていました。冷ましたらできあがりだそうです。

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 一方、パンのほうは、オーブンに入れて少しだけ色がついたらできあがりだそうです。みんなどうなっているか、オーブンをのぞき込んでいました。

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 最後にジャムはクッキーにつけて【二度付け禁止】、もちっとパンはそのまま食べました。試食させていただいたのですが、どちらもとてもおいしかったです。

 「ごちそうさまでした」

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