「三人のいとこ」
1年生から4年生まで「三人のいとこ」という教材を使って、先週から授業をさせていただいていました。
三人のいとこ
ぼくには、おなじとしにうまれたいとこが二人いました。おとうさんのほうのいとこが女の子で、「あつ子」というなまえでした。おかあさんのほうのいとこは、男の子で、「ひろし」というなまえでした。小学生のころには、なつやすみになるとひろしとそのおとうとが、おばあちゃんのいえにやってきます。ぼくもおなじ日におかあさんといもうとといっしょにおばあちゃんのいえにいきます。おばあちゃんのいえは、いとこがあつまってきて、とてもにぎやかになります。
なつやすみのしゅくだいは、いつもおばあちゃんのいえでやっていました。ひろしはべんきょうがきらいなので、ぼくがおしえてあげます。おしえてあげるとかならず
「みっちゃん、ありがとう。」
っていってくれるので、ぼくはひろしが大すきです。一年生のころからずっとなつやすみはひろしとしゅくだいをしていました。とおいところにすんでいるので、なつやすみやお正月しかいっしょにあそべません。でもいっしょにあそんでいて、いつもたのしいきもちになります。
六年生のなつやすみのある日、ぼくがひろしのいえにあそびにいったときのことでした。ひろしのいえはがっこうのすぐまえだったので、よくうんどうじょうにあそびにいきます。てつぼうのところであそんでいたとき、ひろしとおなじクラスの六年生が三人でやってきました。そしてぼくたちをみつけるとすぐに
「あっ、アホのひろしや!」とわらいながらいってきました。 そして、石までなげてきたので、ぼくはおもわず、
「なにいうてんねん!」
その子たちにいしをなげようとはしっていこうとしました。
ぼくがその子たちにむかってはしろうとしたとき、ぼくのふくをひろしがうしろからにぎってはなしませんでした。
「みっちゃん、やめて!あいつら、いうてもわからんから。」
ひろしは、おかあさんのおなかからうまれてくるときに、とてもたいへんだったようで、しぬかもしれないとおいしゃさんにいわれていたそうです。そのときのびょうきがげんいんで、のうやしんぞうにびょうきがのこってしまったそうです。生まれてきたときには大きくならないかもしれないといわれていたそうです。でも、ひろしはぼくたちといっしょに小学生になることができました。いっしょにあそんでいて、とてもたのしいです。そして、やさしいです。ぼくはひろしが大すきでした。
こうこうせいになり、なつやすみにあうこともすくなくなってしまいました。でも、おぼんやお正月にはあうことができました。あえば、いつもえがおではなせるのがひろしでした。こうこう三年生のとき、ひろしのいえにようじがあっていきました。ひろしが、ぼくにカブトムシやクワガタのずかんをかってきてほしいとたのむので、こんどくるときにかってくるやくそくをしました。小学生ようのずかんでした。
つぎのあさ五時くらいにいえのでんわがなりました。お父さんが大きなこえで
「えっ!なんでや!」とさけんだので、ぼくもとびおきてしまいました。
「ひろしがしんだ。」
ぼくはそのことばがしんじられませんでした。
ひろしは生まれつきしんぞうがよわかったため、そのあさにしんぞうほっさをおこしてしんでしまったのです。おそうしきにはひろしからたのまれていたずかんをそっといれました。あつ子もめになみだをいっぱいためていました。ひろしが十八さいのあきのことでした。
あつ子はべんきょうがすきでこうこう一年生から三年生のとちゅうまでべんきょうはいつも一ばんだったそうです。
そのあつ子が十八さいのふゆに、とつぜんしんでしまいました。しんぞうほっさだったそうです。おじさんやおばさんは、しんじられなかったそうです。おそうしきの日におじさんが
「いくらべんきょうができたって、しんでしまったら・・・・。」
とぼくにはなしてきました。
三かげつほどのあいだに、ぼくといっしょの年にうまれたいとこが、二人もしんでしまうなんて、ほんとうにおどろきました。二人はとしがいっしょですが、ものすごくちがいがありました。でもしんでしまって二人にはあうことができません。
ぼくはこうこうをそつぎょうし、四月からいくだいがくもきまっていました。
でも、ぼくはこうつうじこにあい、いしきふめいのままきゅうきゅうしゃでびょういんにはこばれました。ぼくのおとうさんやおかあさんは、「どうか、いのちだけは・・・・。」というおもいでびょういんにかけつけたそうです。そのとき、ひろしとあつ子のかおがうかんだそうです。いしきふめいではこばれたびょういんで三じかんごに、ぼくはいしきをとりもどしました。
三人のいとこは、二人が十八さいのときにしんでしまい、のこった一人はいまもげんきにいきています。ぼくは、二人のいとこから、みんなにつたえなければならないことをあずかっています。
このお話は実話です。みっちゃんは私です。自分が担任を持った時は必ずこのお話をしてきました。障がいをもって生まれた「ひろし」は兄弟同然のように育ちました。障がいって大人になってから勉強しましたが、いっしょにいた時は何も変わらない、ぼくと同じ男の子でした。子どもたちにこのお話をして、みんなに伝えなければならないことが何かを考えてもらいました。それぞれの子どもたちの発達段階で、感じることはちがいます。でも、同じ命を持つ一人の人間だということに、将来でもいいので気づいてくれることを願っています。