ドラ校長の広場

ドラえもんが大好きな校長のブログです。

南横山の平和学習

 朝からニュースや新聞で69回目の終戦記念日について、いろいろな角度から話題を取り上げて報道していますね。戦争体験者が少なくなってきていることもどの報道でも取り上げられています。年数がたてば当然のことだと思います。どんどん忘れ去られることが多くなってきます。歴史はこのようにして過ぎ去ってくのだと思います。しかしながら、この戦争だけは絶対に忘れてはならないし、絶対に繰り返してはいけないことだと考えます。日本だけが語れる体験は、被爆の現実、そしてその後の敗戦ではないでしょうか。日本が戦争をしないことはもちろんですが、戦争が生む悲劇を世界に発信し続けることが重要だと思います。そのためには、戦争の体験を語り継ぐ必要があります。

 私たち教育に携わる者が、これからの世代を担う若者たちに「生きる力」を育もうとするには、生きなければならないことが絶対条件です。生きていて初めてその力を使うことができます。社会で戦争が起これば、その力をつける以前に子どもたちの命もありません。学校教育における平和教育はこれからの子どもたちにとってますます重要になってきます。

 本校で取り組む平和教育の取り組みの一つに、6年生の修学旅行があります。行き先は広島です。平成16年度から広島に行き先を設定してきました。6年生の社会科では主に日本の歴史を学習しています。その事前学習から、広島での見学、被爆体験者の方への聞き取りなども行います。昨年度の6年生から受け継いだ平和のバトンをしっかりと次の世代に渡すために、いっしょうけんめい学習してきます。帰ってきてからは、全校集会において修学旅行の報告と戦争と平和を考えます。今年も10月に予定しています。

 校庭の片隅に大きく成長した「被爆アオギリ」は平成16年度の修学旅行でいただいてきたものです。10年間で30センチほどだったアオギリがこんなにも大きく成長するのです。

以下は原爆資料館の資料です。

24 被爆したアオギリ

移植年月日
1973(昭和48)年5月
樹皮が緑色で葉がキリに似ているので、青桐と名がつきました。
幹や枝は緑色で小枝はやや太くなります。
枝先に30~50cmの枝分かれした花の茎を出し、6~7月頃、黄色い花を数多く咲かせます。
 
特記事項
    1. 被爆前のアオギリ
爆心地から約1.3km離れた、中区東白島町の広島逓信局の庁舎(現在の日本郵政グループ広島ビル。以前の中国郵政局)の中庭にありました。
    1. 熱線・爆風の影響
爆心地方向にさえぎるものがなかったため、熱線と爆風をまともに受けました。そのため枝葉はすべてなくなり、幹は爆心側の半分が焼けました。
    1. 奇跡的な再生
枯れ木同然だったこの木は、翌年の春になって芽吹き、被爆と敗戦の混乱の中で虚脱状態にあった人々に生きる勇気を与えました。
    1. 平和記念公園への移植
中国郵政局の建替えに伴い、1973(昭和48)年5月、現在の場所へ移植され、原爆の被害を無言のうちに語り続けています。
    1. アオギリ2世
移植で枯死するのではないかと心配されたアオギリは、その後も毎年、種子をつけています。これらの種子は国内外へ贈られ、多くの2世が元気に育っています。